日経エレクトロニクス「小惑星探査用ロボットの作り方」最終回を読む

いよいよ最終回.

冒頭部分:

バックナンバー:

以下,ネタばれ含みます.


今回のポイント:

  • 気温が下がるとカメラが動作しない不具合は FPGA の設計が原因
  • カメラの樹脂製ハウジングが 100℃ で変形するので金属製にしなければならない
  • しかしソニーが設計図をくれないので,ハウジングを 30 個譲り受けて外部企業にリバースエンジニアリングを依頼
  • 度重なる試験でカメラモジュールが足りなくなり,同モジュールを組み込んだ製品を秋葉原で調達してきたら,なんと LSI がバージョンアップしてて使えない(これが民生品を使う怖さ)
  • あわてて秋葉原に戻ってなんとか従来品を 10 個買い占めた
  • 畑違いの吉光さんが突然ミネルバのソフトウェア開発をゼロからやらされる(「できる限り自分たちで開発を進めるという宇宙科学研究所の伝統」)
  • なのでμITRON の勉強からはじめる
  • 幸か不幸か打上げは何度も延期されたので,開発期間は増えたが新たな要求も持ち上がる
  • 途中で仕様が変わり,地上から手動で命令を出す機能を追加するために通信ソフトウェアを全部入れ替え
  • 2003 年 5/9,ついに打上げ.しかし 5/12 にミネルバの電源を入れるまで気が気じゃない
  • 電源が入ってデータが到着したが「今,動きがおかしかったよね?」
  • 地上の PFM で検証実験をおこない,ミネルバはやぶさに取りつけた中継器が同時に通信しようとすると問題が起こることをつきとめる
  • 2005 年 11 月 4 日,ミネルバ放出予定の日.齋藤さんが気にかけるのは水晶発振器の周波数.これがズレると通信できない
  • 11 月 12 日,ついに放出.しかし上昇速度が 15cm/s でイトカワの脱出速度を超えている
  • データからミネルバが自転していることがわかったが,いつまでも自転が続くので,着陸できなかったようだ
  • 放出から 18 時間後,はやぶさミネルバ間の通信が断たれる.「それでも吉光は命令を送り続けた。MINERVA は二度と応答を返さなかった」
  • 2006 年春,関係者によるささやかな祝賀会.「民生品のポテンシャルは思ったよりずっと高かった」
  • ESA や RKA からミネルバを使ってみたいという非公式の誘いが舞い込む

コンパクトな連載でしたがさすが日経エレクトロニクス,技術者的笑いのツボと泣きのツボはしっかり押さえています.個人的には,IHI エアロスペースをはじめとするメーカーさん側をメイン視点に持ってきたことを高く評価したいと思います.世の中,はやぶさに関する記事はたくさんありますが,そのほとんどすべては JAXA/ISAS の話にとどまっていました.しかし,実際に図面を引き,探査機を組み立て,試験を行っているのはメーカーさんたちです.打上げ後も,運用室から探査機にコマンドを実際に送るのはやっぱりメーカーさんなわけです.ある意味,はやぶさに一番近いところで働いている方々なわけで,そういう陰の主役にスポットライトがもっと当てられてもよいはずだと思う今日この頃です.