「宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡」

ハワイ・マウナケアのすばる望遠鏡の建設プロジェクトを率いた,元国立天文台長・小平桂一氏ご自身による秀逸なノンフィクション.

以下,ネタバレ含みます.


「宇宙の果てまで」というタイトルではありますが,本書で描かれているのは宇宙ではなく地上です.宇宙の果てまで見通す目を作るために,いかに地上の不条理を乗り越えるか.人を集め,折衝し,泥臭い仕事まで一つ一つ片付けていくか.それらを丁寧に綴っています.科学プロジェクトモノにしては,技術的な話は驚くほど少なく,むしろ人の壁,予算の壁,法律の壁,制度の壁を乗り越える話が大半を占めています.実際,大型科学プロジェクトのマネジメントというのは恐らくそういうものなのでしょう.科学的知識や研究開発だけでは何も回らない.人文・社会科学的な常識に加えて優れたヒューマンスキルやタフな精神力が必須の大変に厳しい世界なのです.しかしそれでもなおその原動力となるのは科学的好奇心であり,また家族や同僚に支えられてこそのプロジェクトであるのです.

すばる望遠鏡の,そして本書の特筆すべき点は,文部省初の海外研究施設を一から立ち上げとうとう実現までこぎつけたこと,そしてその過程を克明に記録しているということです.文部省として「前例のない」プロジェクトだけに,その苦労は計り知れないものがあります.すばる望遠鏡がなければ,例えば ALMA は実現しなかったかも知れませんし,JAXA の深宇宙局をチリに作りたいという構想も夢物語でしかなかったでしょう.宇宙以外の研究分野にとっても,すばる望遠鏡が突破口となってさまざまな可能性が広がったといえます.その礎が本書です.宇宙に限らずあらゆる分野において,今後何か大きなことをやろうとすれば必ず「前例がない」の壁に(省庁や予算関連の狭い意味でも,あるいはもっと広義の意味でも)ぶち当たるはずで,そのような時に本書はよき道標となってくれるに違いありません.

ファーストライトから 10 年近く経ってなお,すばる望遠鏡天文学のトップを独走し,人類の目として世界最高級のデータを次々と生み出し続けています.また,NASADeep ImpactNASA/ESACassini といったミッションへの協力も行っていますし,さらに教育・文化に対する波及効果は大変なものです.これらの輝かしい成果を見るにつけ,小平先生に対して深い感謝の念が湧き起こります.そして文庫版あとがきにある「なぜ日本が造るのか」「何故今造るのか」「何の役に立つのか」という 3 つの問いと,著者が辿り着いた答え,これらはまさに日本の科学技術に普遍的な命題であるという思いを強くします.