「NASAを築いた人と技術―巨大システム開発の技術文化」

2 週間ほどかけてじっくり読破し,さあ満を持して感想をうpするかと思ったその日に,松浦さんの L/D に書評がwwww

言いたいことがかなり書かれてしまった感がありますが,素晴らしい本であるという印象は管理人も松浦さん同様強く感じましたので,あえて今回こちらも感想を書いておきたいと思います.

NASAを築いた人と技術―巨大システム開発の技術文化

NASAを築いた人と技術―巨大システム開発の技術文化

以下,かなりネタバレ含みます.


NASA はガチガチのシステム工学集団で,なんでも徹底的に書類化して取り決める」「旧 NASDANASA の方法論をそっくりそのまま輸入して使っている」「ISAS はそんな旧 NASDA の方法論に猛反発」…ネットではこんな噂がまことしやかに飛び交っています.本当にそうなのでしょうか?? 実際は決してそうとは言い切れない,ということを本書は雄弁に物語っています.NASA でも,NASDA でも,ISAS でも,主役はシステムではなく人であり,様々な葛藤を抱えながら彼らは宇宙に挑んでいったのです.

著者,佐藤氏の経歴を見てみましょう.東大の航空宇宙工学科を卒業して科学技術庁に入庁.在勤中にペンシルヴァニア大学大学院に派遣されて科学史・技術史分野で博士号を取得し,現在は東大で科学史の研究者として働いておられます.本書はその博士論文を和訳したものです.宇宙工学の素養をしっかりと身につけつつ社会科学的方法論も自分のものとし,大学の空気と官僚の論理の双方に馴染み,日本とアメリカ両方の在住経験を持つ著者こそ,とかくセンセーショナルな記述が多いこの分野においてきわめてバランスの取れた客観的な論説を生み出すことの出来る,稀有な存在であるといえるでしょう.内容は博士論文そのものですから,学問的にも大変しっかりしています.このような素晴らしい論説を日本語に翻訳し,学界だけでなく広く一般に公開してくださったことは大変ありがたく思います.

本書は宇宙開発技術の本ではありません.ロケットや衛星についてのテクニカルな話はほとんどありません.本書は宇宙開発に携わる「人」と,その職場に存在する「技術文化」についての本です.膨大な量の人名が綴られ,彼らが何を考え,どういう行動を取ったかというエピソードが丹念に紹介されます.これらの記述は NASA 等が所有する大量の史料や関連書籍から引き出されたものですが,特に日本の宇宙開発に関しては独自のインタビュー調査によって得られた情報もかなりあるようです.巻末の註を見ると,著者が 2003 年の夏に NASDAISAS のかなりの数の関係者にインタビューを行っているのがわかります.

システム工学は合理化と体系化を追求した「脱人格的な」手法であり,NASA 本部によって全面的な導入が図られましたが,各センターの技術コミュニティにおいては必ずしも歓迎されず,そこには様々な軋轢や妥協があったのです.第 1 章ではサターンロケットを開発したマーシャル宇宙飛行センターが対象ですが,ここはまさに「フォン・ブラウンのチーム」であり,合議による意思決定とフォン・ブラウンのリーダーシップに支えられたチーム一丸となっての強い団結力が,システム工学の導入を回避しました.第 2 章の舞台,有人宇宙船センターは,人間志向の航空畑出身者と能力主義のミサイル畑出身者との技術文化がせめぎあい,その相互作用の中からアポロ宇宙船が生み出されました.第 3 章のジェット推進研究所は大学の研究所であり,個人主義と研究優先志向で失敗をいとわない空気が初期の探査機の多くの失敗を生んだことから,NASA 本部から圧力がかけられ,結果的に学術主義と政治との交差点上に現在の姿として生まれ変わりました.第 4 章では宇宙科学研究に軸足を置くゴダード宇宙飛行センターが,NASA 本部の形式化・規格化された大型衛星を敬遠し,あくまで使い勝手の良い観測ロケットや小型衛星を支持する科学者集団だったことが描かれています.

第 5 章はまるまる日本の宇宙開発に関する記述に当てられています.ISAS はシステム工学を明確に退け,個人が蓄える技術的知見と親密な相互依存関係に基づく調和的な技術文化を独自に育んできました.まさに人的アプローチの典型といえます.いっぽうの NASDA は確かに NASA のシステム工学を導入しました.しかしそれはやはりきわめて人間志向の技術観に支えられたものであり,文書の山や組織構造ではなく実践を積み重ねた技術者こそが技術を担っていくのだという気概を上層部も現場も強く意識しつつ,模倣ではなく技術実証の手段としてシステム工学を導入していったのです.また NASDA 内部にも諸派があり,米国スタイルで N-I ロケットを開発した三菱重工中心の N グループ,宇宙開発推進本部時代から ISAS スタイルで ETV-1 などに従事した Q' グループ,郵政省電波研究所由来で,衛星開発に独自の手法を適用したグループなどがあったようです.本書では ISASNASDA の技術文化の違いは認めつつも,どちらも「技術は人に宿る」という共通の技術観を保ってきており,非契約社会日本の縮図であったと結論づけています.

いずれの事例も,それぞれの技術文化の是非を問うているのでは決してなく,その技術観が技術と人にどのように影響していったかを客観的に述べています.システム工学も人間志向も学術主義も各々の功罪が人間を軸として複雑に絡み合い,その相互作用の産物として数々の宇宙技術が誕生したのです.

本書の扱う範囲はせいぜい 1960 年代までであり,その後の NASANASDAISAS がどのような技術文化を培ったかについては触れられていませんが,松浦さんのブログによると

次の目標は日本の宇宙開発に関してこのような著作をまとめること

「NASAを築いた人と技術 巨大システム開発の技術文化」: 松浦晋也のL/D

とのこと.1970 年代以降,NASDA は H-I,H-II,H-IIA という完全自主技術への道を着実に歩みつつ技術の幅を広げ,ISAS大学共同利用機関となってからもそのスタイルを維持したまま独創的な成果を量産し,そして 2003 年に NAL を含めた 3 機関統合という日本宇宙開発史上最大の転機が訪れてからは,さまざまな技術文化のせめぎ合いがさらに顕在化してきています.この激動の時代を佐藤氏がどう描き,そこからどのような主張が生み出されるのか,今から非常に楽しみです.

「人」と「文化」が主題であることから,本書は宇宙開発だけではなく,プロジェクト・マネジメントや組織管理に携わる全ての人に有用かも知れません.


追記(2008-01-25):
宇宙研 PLAIN センターで,本書の著者,佐藤氏の講演があったようで,資料がうpされています.本書の概略が非常にコンパクトにまとめられているほか,JAXA 統合後についてもちらりと触れており,非常に興味深い内容となっています.