「ボエージャーと共に生きる―人工衛星が解く宇宙の謎」

ボイジャーの記念日に寄せて,この本を紹介したいと思います.

ボエージャーと共に生きる―人工衛星が解く宇宙の謎 (街かどシリーズ)

ボエージャーと共に生きる―人工衛星が解く宇宙の謎 (街かどシリーズ)

JPL宇宙研で数多くの衛星,探査機の軌道設計に関わってきた著者による回想録.あまり顧みられていない本ですが,もっと多くの人に読まれるべきだと思っています.

以下,ネタバレ含みます.


著者の西村先生は,東大工学部を卒業後スタンフォードの大学院に留学し(1955 年当時としては大変なことだったと思われます),そこでオール A の成績をとり,さらに奨学金を得て UCB に移って制御理論を極め,GE を経て JPL に入所して最適制御,Kalman フィルタ,軌道計算に従事してボイジャーをはじめとする数々の探査機に関わり,その腕を買われて宇宙研に呼ばれてさきがけ・すいせいを成功させ,その他の宇宙研の衛星の軌道計算においても中心的な役割を果たしてきたという,まばゆいばかりの輝かしい経歴をお持ちの方です.現在の宇宙研において川口先生のグループが果たしている役割をまさに担ってこられた重鎮といえます(実際,川口先生と共著の論文なども多いようです).その西村先生が,自分の関わってきた宇宙開発を語るわけですから,面白くないはずはありません.

ボイジャーとの関わりは意外とあっさりとしか書かれていないのですが,JPL で多少関わった後宇宙研に戻ってきた際に,海王星掩蔽観測の際に DSN だけでは電波が弱すぎるということで臼田のアンテナを使って電波を受けたという話が載っています.JPL で関わったボイジャーからの電波を日本で受けたということで大層感激したとのことです.JPL も,最初はボイジャー計画の提案がベトナム戦争の影響などでなかなか認めてもらえず苦労したようで,グランドツアーができるタイミングが 171 年に一度だということを力説して,なんとか木星土星だけの探査は認めてもらったようです.「このボエージャーの話は JPL の悲願みたいなものです」とありますが,本当に JPLボイジャーに賭けていたんでしょうね.逆にいうと,もしボイジャーが実現していなかったら,人類の宇宙探査は悲惨な状況になっていたかも知れません.

宇宙研の歴史を語る書物としても楽しめます.特にハレー探査の話はボイジャーの話題以上に詳しく書かれています.JPL宇宙研の共通点はどちらも大学の研究機関であり非官僚組織であると挙げたうえで,非常に居心地が良かったと述べています.

ほか,ツボにはまったエピソードとしては,

  • 火星探査機マリナー 4 号の時は画像処理技術がなかったので,データが来るごとに画家が点描で絵を描いていき,それをもとに運河がないとか森がないとか議論していた.この絵はいまでも JPL 本部に飾られている.
  • 水星の表面を日本人で最初に観測した(マリナー 10 号).
  • すいせいには数ミリグラムのダストが 2 回ぶつかり,姿勢が 0.7 度ほど傾いた.幸い機能に別状はなかった(ジオットはダストの衝突でカメラが壊れてしまった).

などなど.

ちなみに元々は対談形式だったのを書き改めたとのことで,読みやすさは格別です.ロケットや人工衛星の仕組み,スイングバイや VLBI の原理,日本の宇宙開発の歴史,その他宇宙に関するトピックスの解説も多く,宇宙に詳しくない人は勉強になるし,詳しい人はいろいろなエピソードが楽しめる,となかなかサービス旺盛な本になっています.

ともかく,日本で最初に深宇宙探査にかかわり,さらに米国と日本の宇宙探査に多大な貢献をした西村先生に深い感謝の意を捧げたく思います.西村先生なしには,現在の日本の宇宙探査はありえませんでした.

Amazon では品切れのようですが,他のネット書店には在庫も多少あるようですし,リアル書店でも見かけたことはあります.