「秒速 5 センチメートル」

ええと,今回紹介するのは本ではなくてアニメ映画なのですが,この「本」シリーズでは狭義の本に限らず,映画,ドラマ,アニメ,ドキュメンタリー,音楽など,要するに「Amazon で買える類の作品」を広く扱っていこうという趣旨です.よろしくお願いします.

さて,本作は気鋭のアニメ作家・新海誠氏の最新作であり,一部の映画館では未だ上映中です.短編 3 部作なのですが,第 2 部のタイトルが「コスモナウト」,しかも舞台が種子島,というところに思うところあり,さらに超映画批評の 85 点を目にして,久々に映画館に足を運んでみることにしました(笑).

以下,ネタバレ含みます.


予想通り,第 2 部ではロケット打上げシーンがあります.しかもその積荷がなかなかブッ飛んだシロモノだったりします.せっかくこのブログで取り上げるのですから,野暮は承知で,このロケットまわりをよく見てみましょう.なお,記憶間違いなどあるかも知れません.その場合はご指摘ください.

第 2 部が始まると,時々サブリミナル的にロケットに関するシーンが挿入され,宇宙の町・種子島を強く印象づけます.今回上がるロケットは H-II,もちろん宇宙開発事業団による打上げです.後述しますが物語の年代は 1999 年.現実世界では最後の H-II が MTSAT-1 を載せたまま指令破壊されてその歴史に幕を下ろした暗黒の年ですが,物語ではそんな暗い兆候は微塵もありません.そしてその積荷はなんと,「深宇宙探査機」.「太陽系のずっと深く」まで行くのだそうです.NASDA が探査機,しかも H-II で打ち上げちゃうというのも楽しいですが,愛称が(ちょっと記憶に自信ないのですが)「エリシュ」(ELISH?)というなかなか珍しい命名で,もしかしたら NASA/ESA との共同ミッションかも知れません.木星以遠に行くには原子力電池も積まないといけないしね.さらに驚いたことに,第 3 部で主人公が手に取る Newton ライクな科学雑誌の表紙に「深宇宙探査機エリシュ 太陽系外へ 1999-2008」みたいなことが書いてあります.Voyager が 30 年掛かった道のりをたった 9 年!現在最速の New Horizons でも冥王星軌道まで 8 年ですよ.H-II がそんな打ち上げ能力を持っているとも思えないので,何か画期的な推進機関を探査機自身が持っているのでしょう.管理人としては「秒速 50 キロメートル」と題してもう 1 本映画を撮りたいくらいです.それにしてもです.1999 年に NASDA が太陽系外まで行くほどの探査機を飛ばす…現実の歴史を知っている身からすると,何か儚くも美しい夢を見た後のような,そんな気がしてきます.真実ならばどんなに輝かしいことか.第 1 部の幻想的な桜の木のシーンと同様,このロケットも幻想なのかも知れません(笑).

とまあ,オタトークですが,やっぱり野暮というものでしょう.この物語におけるロケットと探査機は,主人公の心のありようを象徴的に暗示する小道具,それ以上でも以下でもありません.水素原子すらまばらな虚空を,たった一人で永遠に飛び続ける孤独な宇宙機.その先には茫漠とした宇宙が広がっているばかりで,それでもただ遠くを見据えて,あてどもなく飛び続けなければならない悲しみと喪失感.このイメージはどこか村上春樹スプートニクの恋人」でのスプートニクの描かれ方を彷彿とさせます.新海監督は村上春樹にかなり傾倒しておられるようなので,もしかしたらこの作品が念頭にあったのではと予想します.

新海氏のアニメーションはそのとんでもないクオリティの映像美が持ち味ですが,本作ではさらに磨きがかかっており,美しすぎてお腹いっぱいになってしまうようなシーンの連続です.当然,ロケット打上げシーンも,大変美しいものでした.もしかするとロケットマニアの人は,ここが違う,あそこが違う,と言いたくなるかも知れません.しかしこの映画が追求しているのは完璧なリアルさではなく,現実を超えた美しさなのです.これは他のシーンも同様で,非常にリアルに見える緻密な背景の数々も,実際は現実の風景から美しい成分だけを抽出・増幅して造られた,現実を超えるべく計算しつくされた嘘であるということです.鉄道にまつわるシーンはそれが顕著ですね.これほどまでに美しい「鉄道のある風景」を描く人を管理人は他に知りません.

ストーリーなどに関して.以前,同監督の「ほしのこえ」を無料配信で見たときは,映像美に比してストーリーやキャラクターがあまりにうすっぺらく感じて感情移入できなかったのですが,本作では格段に良くなっていて,安心して観ることができました.内省的なストーリーは好き嫌いが分かれると思いますが,個人的には心の琴線に触れるものがありました.キャラクターの造形は,あまりに背景が丁寧すぎるためでしょうか,どうしても書割のような感じが否めませんが,萌え系ではなく誰にでも好感を持たれやすい絵柄なのは良かったと思っています.

以上,ロケット云々を抜きにしても,その映像美だけでも堪能する価値はあると思える作品でした.現在主題歌にあわせた特別 PV が無料公開されています.実にいいですね,これ.

余談ですが,新海監督ははやぶさについてはご存知ないという情報あり(笑).あと,専用スレに面白い話がありました.

ただ、自分は種子島でロケットの打ち上げが行われているという
のは半ば一般常識だと考えていたのだが、世間的にはどうもそうでも
ないようで、あの部分だけSFだと思っているような感想を頂くことも
ある。
 またスタッフの中でも種子島と鬼ヶ島の区別がついてないような
人もいて『実在する島なんですか?』と聞かれて『まあ、多分あると
思うよ……』と答えていた